スクールダイアリー

12月10日(火)全校朝礼 待降節に寄せて②

今回は「希望」です。

希望というと、私はいつもパンドラの箱の話を思い出します。ギリシャ神話に出てくるこの話は、開けてはいけない箱をパンドラという女性が開けたところ、全ての悪や呪いや災いが人間界に放たれ、今ある人々の苦しみとなってしまいます。パンドラが慌てて箱を閉めると、中から「私も出してくれ~」って声がするのです。好奇心が強いパンドラはまたもや箱を開けてしまいます。残っていた最後のものが飛び出しますが、それが「希望」だったということです。人間は数多くの悪や裏切り、災難に見舞われますが、希望を抱くという人間の心根をうたった話です。ヘシオドスの『仕事と日』という書物にある話で、2700年ほど昔に書かれたものですが、現代人にも伝わるメッセージがあると思います。

人は生きて労苦を背負う宿命にありながら、喜び報われる希望があることを教えているのでしょう。

クリスマスは、メシア(救い主)の到来(誕生)を祝っていますが、ここにある救いとは、労働の苦しみが報われるというなぐさめ的なものではなく、人間が根本的に罪から救われるという別の次元での希望を受け止めてほしいと思います。つまり、先ほどのパンドラの箱から放出されたような、全ての悪や呪いや災いそのものから人間が救われるということです。言い換えると、宿命と思っているものから人は逃れることが出来る希望を得たということです。

人間の根本にある逃れられない罪(原罪)から解放されることを、キリスト教では「救い」と呼んでいます。待降節(アドヴェント)には、その救いを待ち望む「希望」があるのです。神学的な話となりましたが、罪を犯した人間のために、救い主(メシア)が共にいることになった瞬間がクリスマスなのです。

人間は、誰もが完ぺきではありません。誰もが大なり小なり罪を背負って生きています。自分のいたらなさに落ち込み、自暴自棄になることは誰だってあるでしょう。しかし、いつも苦しいままでいることはないという希望をもって卑屈にならずに生きましょう。そうすれば、明るい未来が待っています。そのような意味でクリスマスは、「希望」を伝えていると思います。前向きに元気を出してお互いに笑顔で頑張っていきましょう!

 

☆写真は、5年前のクリスマス行事のものです。キャンドルを持った光の精の役が、何か希望をイメージしている感じがしたので掲載しました。